[コラム]『そらとぶキリン』に描かれる三つの力〜ライオンの変化から読む 倫理観・双方向性コミュニケーション・自己修正〜
2026年05月25日
優しさと思いやりがつむぐ、きずなの物語
『そらとぶキリン』は、優しさと思いやりがつむぐ、きずなの物語です。
パパとママに会いたいあいちゃんに、ラフィーが羽を渡し、一緒に探しに行くこと。
あいちゃんが、おぼれるライオンを助けようとすること。
心配した動物たちが、あとをついていくこと。
あいちゃんがパパとママに会い、再会の涙があふれたこと。
そして最後に、ライオンが「だいじな なかまが できたよ」と伝えずにはいられなかったこと。
この物語では、だれかを思って自然に生まれた行いが、静かにつながっていきます。

『そらとぶキリン』 2026年5月発売
日本パブリックリレーションズ研究所出版局
パブリック・リレーションズの視点から読むライオンの成長
ライオンは、はじめから仲間とよい関係をつくれる存在ではありませんでした。けれど、あいちゃんたちとの関わりの中で、少しずつ変わっていきます。
日本におけるパブリック・リレーションズ(PR)の第一人者である井之上喬氏は、PRを、倫理観に支えられた双方向性コミュニケーションと、自己修正をもとにした関係構築活動として説明しています。
絵本では、これを次のように子どもにも身近な言葉におきかえて考えています。
倫理観
よいことをよいと感じ、困っている相手に心を向ける力
双方向性コミュニケーション
一方的に伝えるだけでなく、相手の行いや思いを受けとめ、自分も応答していく関わり
自己修正
相手との関わりの中で、自分の行動やあり方を見つめ直し、よりよい方向へ変わっていく力
このコラムでは、ライオンの変化をたどることで、『そらとぶキリン』に込められた「倫理観・双方向性コミュニケーション・自己修正」という三つの力を見ていきます。
ライオンの一方的な関わり方と、あいちゃんの倫理観
ライオンは最初、あいちゃんに「パパとママを知っている」と言って近づきます。けれど、それは本当ではありません。ライオンは、あいちゃんの「パパとママに会いたい」という願いを、自分の欲望のために利用しようとします。
このときのライオンは、相手の気持ちを受けとめていません。
あいちゃんが何を願っているのか、どれほどパパとママに会いたいのかを考えているわけではありません。ライオンの関わり方は、一方的で、相手を利用するものです。
ところが、そのライオンは池に落ちてしまいます。ライオンは「たすけてくれえ!」と叫びます。
けれど、まわりの動物たちはこわくて助けようとしません。
そのとき、あいちゃんは夢中で飛んでいきます。
自分をだました相手であっても、目の前でおぼれている。放っておくことはできない。
あいちゃんは、ライオンを助けようとします。
ここに、あいちゃんの倫理観が表れています。
あいちゃんは、ライオンがよい相手だから助けるのではありません。自分に得があるから助けるのでもありません。
困っている相手がいる。その相手に手を差し伸べようとする。
その行いに、よいことをよいと感じる心が描かれています。

言葉になる前の、ライオンの変化
その後、羽をつけてもらったライオンは空へ舞い上がります。けれど、今度はあいちゃんが池に落ちてしまいます。そのとき、ライオンはとっさにあいちゃんを助けます。
この場面は、「恩返し」とすぐに決めつけない方がよいでしょう。ライオンが何を考えたのかは、はっきりとは書かれていないからです。
目の前であいちゃんが落ちた。助けなければならない。
そんな、言葉になる前の衝動のようなものが、ライオンの中で動いた場面として読むことができます。
ライオンの変化が言葉になるのは、その後です。
関わりあいの中に生まれた、ライオンの自己修正
あいちゃんに「たすけて くれて ありがとう」と言われたライオンは、「さっきは だまして ごめんな」と謝ります。そして、「おれ、だれにも たすけて もらったことが なかったんだ」と、自分のことを語ります。
ここで初めて、あいちゃんの行いを受けとめたライオンの内側が見えてきます。
ライオンは、表面的に謝っているのではありません。自分が「何をしたのか」を見つめ、自分が「なぜそうなっていたのか」を語っています。
ここに、自己修正の始まりがあります。
自己修正とは、ただ相手に合わせることではありません。表面だけを変えることでもありません。
相手との関わりの中で、自分のあり方に気づき、より深いところから変わっていくことです。
仲間として歩きはじめるライオン
ライオンは、あいちゃんに助けられ、あいちゃんから感謝され、自分のことを言葉にします。
そして、「おれも つれて いってくれ。すこしは やくに たてるかも しれない」と言います。
この言葉からは、まわりの関係の中に入り直そうとする姿勢が見えます。
ライオンは、自分にできることを差し出し、今度は仲間として一緒に歩こうとしているのでしょう。
あいちゃんは、「わかった。いっしょに いこう!」と受け入れます。
まわりで見ていた動物たちも、ついていくことにします。
ここから、旅はあいちゃんとラフィーだけのものではなくなります。
ライオンも、動物たちも、それぞれの思いを持って一緒に進んでいきます。
だれかが一方的に命令するのではなく、だれかの行いを受けとめ、それに応える形で、関係が少しずつ変わっていきます。
これが、物語の中に描かれている双方向性コミュニケーションです。
言葉のやりとりだけが、コミュニケーションではありません。
あいちゃんが助けようとすること。
ライオンがとっさに動くこと。
自分のことを語り、謝ること。
旅に加わること。
みんなが心配してついていくこと。
そうした行いの一つひとつが、相手に届き、次の行動を生む関わりあいが続いていきます。
旅の途中で、くたくたになったあいちゃんに、ライオンは「こういう ときは はらの そこから『がおー!』って いうと げんきに なるんだ」と伝えます。
ライオンは、もう相手をだます存在ではありません。自分が知っていること、自分にできることを、みんなのために差し出そうとする存在になっています。
あいちゃんたちが「がおー!」と応えてくれたことは、ライオンにとっても、自分が受け入れられたように感じられる、うれしい経験だったのではないでしょうか。

「だいじな なかまが できた」という結実
そして物語の終わりに、ライオンはラフィーに向かって言います。
「おれにも だいじな なかまが できたよ」
最初のライオンは、あいちゃんをだまし、自分の欲望のために相手を利用しようとしていました。けれど、最後には、他者と関わり、受けとめ、感謝し、仲間ができたと言える存在になっています。
ここに、ライオンの変化の結実があります。
この成長は、ひとつの力だけで起きたのではありません。
あいちゃんの倫理観があり、行いと言葉の往復があり、その関係のなかでライオンが自分を見つめ直していく。
みんなの倫理観・双方向性コミュニケーション・自己修正の三つの力が、物語の中で一体となって働くうちに、「きずな」が育っていったのです。
時間をかけて育つ、きずなの芽
絵本は、読んだその場で答えを出すためだけのものではありません。
あいちゃんは、なぜライオンを助けたのか。
ライオンは、なぜ謝ることができたのか。
「だいじな なかまが できた」という言葉には、どんな気持ちが込められていたのか。
絵本を読んだあと、このようなことに思いをはせて子どもと会話をすることもあれば、何も話さない日もあります。それでも、物語は心のどこかに残ります。
みなさんも、何日も何年もたってから、本の内容がふとした経験と結びつき、「あれは、こういうことだったのかもしれない」と感じたことはありませんか。
子どもも、あとから、物語へ思いを巡らすことがあるかもしれません。
ひとつの場面でも、人によって受けとめ方が少しずつ違います。すぐに分からないこと、誤解されることもあります。
それでも、物語は、読んだ人の心に生き続け、はたらきかける何かを残します。
『そらとぶキリン』には、「優しさ」と「思いやり」がきずなをつむいでいく物語の中に、「倫理観・双方向性コミュニケーション・自己修正」という、きずなを育てる三つのはたらきが織り込まれています。
それは、教えられるよりも先に、関わりあいの中で少しずつ心身に培われていく、きずなの芽生えといえるかもしれません。
その芽が、いつか子どもの心の中で大きくなり、人を大切に思う力や、自分の関わり方を見つめ直す力へと育っていくこと。
そして、子どもたちが人とのかかわりあいの中で、豊かなきずなを結びながら「生きていく力」へと繋がっていくことを願っています。

